生き残ってしまったこと、生きていくこと
気が付いたらここまで生き残ってしまったことと、ここから生きていくことについての話。
2020年6月30日に最後のブログ記事を書いてから、3年近い時間が経ってしまった。
いや、経った先に生きていることができている(しかも偶然)、という方が、実感に近い。
あれはものすごい年だった。
来る日も来る日も困難に見舞われた。深夜まで回線を駆けずり回り、先代の残した意味不明なExcelを読み解いて、疲労した目を温めつつ、「俺たちが生き残る世界線に辿り着くにはどうすればいいか」と思っていた(多分そのとき見ていたアニメのせいだとも思う)。
実際言ってもいた。忙しい中聞き流してくれた相方、ありがとう。
なんとか生き残る世界線を選び取ってから3年ほど経った。その間に相方はこの職場を離れていった。あのひと以外にも多くの人を見送った。
いまは少数先鋭で、全員が影分身の如き仕事ぶりを発揮しながら、なんとかやっている。
僕も、そろそろ潮時、離れていこうか、と思っている。
さんにんぐらしの同居生活も、三者三様に居を構えるようになった。もう、元同居人のすばらしい手料理は食べられないけれど、きみはきっといまも、そうして誰かを喜ばせているだろう。
月日はいろんなものを変えていく。
組織は入れ替わるし、交友は変わる。
読む本の好みも変わるし、好きな音楽は……でもこれはあんまり変わらない。
僕にもたぶん、3年前と違う部分があって、全然変わらない部分もある。
ここ何年かずっと、誰かに「たのしい」を伝えたいと思っていた。
音楽が楽しいこと、短歌を読むのが興味深いこと、専門書が面白いこと。出会うものが「たのしい」に溢れていることを、誰かに、あなたに伝えたかった。
どうやって伝えるか考えたとき、僕は喋るのが得意じゃないから、書くという方法を選んだ。でも、書くことは難しかったから、論理的思考を鍛える本を読んだり、ワークブックをやったりした。
そうこうしているうちに、これを思い出した。
抵抗というか苦痛は強くずっとあります。
— 読書猿『独学大全』14刷26万部(紙+電書) (@kurubushi_rm) 2022年6月22日
書くことについての苦手意識と自己評価の低さにいつも苦しめられています。(つづく)#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/nHKVK5en47 pic.twitter.com/xmgDoxHOk2
ようやく僕は、練習しているだけじゃなくて、書いたものを出そう、どこかに出す必要がある、と、思えるようになった。
幸いにしてこのインターネットの海では、何のために書いているのかわからないこんなブログは、ちょっとやそっとじゃ誰かの目にとまることもない。何しろ大海原には上手な文章が溢れていて、それは増え続けているから。
だけどひょんなことから、こんな言葉でも誰かに届いてしまうかもしれない。
なあ、ひょっとして、僕と過去を共有しない偶然の訪問者にも「たのしい」を伝えられたら、僕は、身近なひとにはもっと上手に「たのしい」を伝えられるんじゃないか?
小さな画面でタプタプタプタプ文字を増やしながら不遜にも思う。
まあ、そんな都合よくたくさんのひとに出会えるなどという幸運は望めなかろう。じゃあなんでここで書くんだよ、もっと誰かの目に触れるところでやれよ、という声がきこえる。これについては、僕の恥と祈りが原因だと答えたい。
つぶやいて、ランダムに他人に言葉を届けられる場所もあるが、長文には向かない。
ここを宣伝する? 本当に”知らない人”が怖いし、そもそもその宣伝行為が恥ずかしい。
インプレッションをたくさん得られるような、大勢に訴えかけるようなセンセーショナルな文章はそもそも好きじゃない。
不意にすれ違ったひとにお茶を出すような規模感が、僕の身の丈にあっている。
ひとはときに、聞き手に伝わらないと思っているからこそ何かを伝えるという、一見すると不合理にも思える発話をおこなうこともあるようです。(第4章P109※電子書籍版)
ということに近い気がする。
ここの言葉は、誰にも届かない。と思っているけど、思っているからこそ、ここで僕の言葉をもって、誰かに「たのしい」ことを伝えたい。それが、万が一、億が一、誰かに届いちゃったら、嬉しいけどさ、まあそれはそのとき。
そういう気持ちで、ここでは、誰も見ていないけど、誰に見られても「たのしい」の一片が伝えられるような、そんな言葉を書く練習をしていこうと思う。
でも、ほんとうはずっと、僕の「たのしい」を伝えたいひとがいる。
もうそろそろ、頑張ってみてもいいんじゃないか?
櫂を使う練習はもうこれで十分だ。舟を浮かべて進もうじゃないか。
生き残ってしまったからな。
再出発です。
『会話を哲学する』はめちゃめちゃ面白かった。
僕らは会話の中で実際に「なに」をしているんだ……ということを、コミュニケーションとマニピュレーションという2つの軸で考えていく本。
今度この本と絡めて、「冗談にマジレスしちまう挙動について」という話を書きたい。