夜半の海 短歌食①
夜半の海汝はよく知るや魂一つここに生きゐて汝が聲を聴く
(よはのうみなはよくしるやたまひとつここにいきゐてながこえをきく)
若山牧水『海の聲』より
''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''
読解は苦手だ。
文法的に正しくない、はあるのに、読解的に正しい、がないからだ。
歌であれ物語であれ、虚構は作者の手を離れた瞬間に膨張を始める。知識経験の相異なる読み手の、すべての読み方の数だけ、世界を得ていく。
読解は自由だ。
自由なんてくそ食らえ、一つで良いのだ、ただ一つの答えがあればいいのだ。
と僕は思うのだが、こりゃ正解信仰だろう。
そろそろ、○か×かを気にするのをやめて、
好きなことを好きなように食べていくのはどう?
と、いうわけで、
若山牧水の作品より、
感覚で良いと思ったものを選んで、
超適当に、自由に解釈する。
誰かとそれについて語る。
主題にしてお話を書く。
好きなようにする。
※一応文法的に正しいか調べはしますが、間違っていてもご愛嬌。圧倒的間違いを見つけてしまったら教えてください。
牧水は万葉集にも明るかったそうなので、関連する万葉和歌があるのかもしれないけど、現在の僕にそんな知識はない。
''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''
夜半の海汝はよく知るや魂一つここに生きゐて汝が聲を聴く
夜半の海、あなたがよく知る魂を持った人間がひとり、ここで生きて、あなたの声を聴いています。
'''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''
「海は母である」
「ほう。僕ら海無し県民に母はないのか」
「違うよ。どうして君はそうすぐに否定的にとるのさ。漢字を見てみなよ」
「さんずいに、かんむりをつけた母かな」
「そうそう。海はひょっとして、母が流した涙?」
「母は相当な巨体か。地球の7割が彼女の涙かよ。でいだらぼっちかな。涙じゃなくて、母の羊水かもしれない。多くのいのちは海から産まれている」
「なるほどね。生命の発生の源としての母か」
「かんむりをつけているってことは、身分の高い人なのかもしれない」
「ただの髪飾りかもよ」
「身綺麗にしている母なんだな」
「そう言えば、海の波音とかテレビの砂嵐とかは、母親の胎内の音に似ていると聞いたことがある」
「血管の音かしらん」
「だから乳児や幼児を落ち着かせるのに、テレビの砂嵐を付けるという手段がある。僕も妹をそうして宥めたことがある。きっと僕もそうされてきたし、この先の子供もそうされるのだろう」
「残念な話だ。君は知らないかもしれないが、今のご時世、テレビでは砂嵐は流れないんだよ」
「えっ」
「デジタル放送になったからね」
「海無し県民がこんなに海に焦がれるのは、ひょっとして彼女が僕の母だから?」
「君が海を好いているのはただ見慣れないからだと思うけどな」
「情緒のないことを言う。きっと、母なる海を遠く離れて暮らす僕らは時折ふるさとに帰りたくなるのだ、そして静かに母に甘えたくなる」
「君は海に行ってもはしゃぎっぱなしだろう」
「否定はしない。こらえられないわくわく感があるんだよな、海を見ると。走りたくなるし、叫びたくなる」
「子供か。たまには座って、静かに海の声を聴いたらどうだい」
「そんな。僕が黙ってるなんて、寝ているときか死んでいるときくらいのものなのに」
「勢いがいいな。波の音、鳥の飛ぶ音、風の音、海はたくさん音を持つのに、聴かないなんてもったいないよ」
「ふむ。それはなんとも魅力的だな」
「聴きにいくなら夜がいいね。ほかの生き物が眠りについた頃に、君と海だけが起きているのを感じるのがいい」
「それは面白そうだ。すべての生き物の母であるところの海を、独り占めできるのか」
「海は君のことをよく知っている。自分の子供だからね。それがいつもと違って静かに己を見ている姿に、海はどう思うだろう」
「存外なにも思わないかもしれないね。生まれたときから、魂から、僕を知るのであれば、静かなるのも騒がしいのも僕であることをきっと知っている」
「それは、確かに。その通りか」
「ああ、海に行きたくなってきた」