強いひとと弱いひと
強いひとと弱いひとを、僕が好いている話です。
僕は強いひとが好きです。
強いというのは、精神的に自立しているという意味で用いています。
確固たる自我を持ち、自己決定ができ、自己判断ができるようなひとのことを指します。
僕は今までで6人ほど、そういうひとに出会いました。
うち2名ほどはあまり関わりたくないと思う類の「無敵の人」でした。
今日は、関わりたくない人を考えるなんて無駄はせず、好きな4人の強いひとについて考えたいと思います。
ひとりめ:会長
僕が所属する音楽団体の長を務めるひとです。
活動力で人を殴るタイプです。これと決めたら始め、周囲を巻き込んで、ことを広げていきます。
活動仲間としての友人は多く、恐らく彼を好いている人も多いので、何か困ったときに彼の力になりたいと思う人は多いでしょう。
ふたりめ:後輩
所属する団体の年下の子です。
賢く、聡い。己がどんな振る舞いをすると、誰にどんな影響を与えるか、理解して動いているのだろうと思う瞬間が多く見受けられます。
また、自己の価値観を強く持っているので、対話や対人戦に強いです。
さんにんめ:神さん
僕の友人の友人です。神さんは渾名です。
場の空気を大事にしますが、自身がどうしても嫌なことは決してやりません。また、己の流儀に反することをする相手にはきちんとそれを伝えますし、言葉が伝わらない相手に対して距離をとるのが抜群にうまいです。
懐に入れた仲間は食べちゃうくらい大事にします。
よにんめ:上司
直属の上司です。4つほど年上の方。
物腰が柔らかく、どんな相手にも丁寧に接します。立場上、後輩である僕を気にかけてくれることも多いです。
有事の際に頼りになるのは自分の肉体だけ、とのことで、鍛えていらっしゃいます。筋肉痛で苦しむ姿を見ることが多いです。
彼らはとても強いひとです。
関わっていくほど、会話の端端にその自意識のつよさをみつけます。相対して話している僕を、歯牙にもかけない意志の強さをみつけます。
僕はそれを、とても心地よいと思います。
彼らは僕を必要としないでしょう。
僕を必要としないひとは、僕がどれだけ愚かで矮小な人間だったとして、気にしないでしょう。
それに安心して、僕は彼らとつきあうことができます。
と言うわけで、僕は強いひとが好きです。
強いひとは好きですが、弱いひとが嫌いなわけではありません。
この場合の弱いは、精神的自立に至っていないか、自己決定に不安があるか、自己判断に迷いがあるひとを指します。
僕はむしろ弱いひとのほうが、つきあいやすく思います。
そのひとたちの前では、僕に存在価値があるからです。
迷うひとたちとお話しすることは好きです。
考えて伝えたことが少しでも影響を与えられたら。
話し相手として一度でも必要とされたら。
僕の言葉を求めてもらえたら。
そこには、僕のいた意味があるでしょう。
僕は自分で自分に価値を感じません。そのかわり、誰かが僕を用いてくれるその事実に価値を見出します。
そのため、価値=存在する意味を感じさせてくれるひとの傍を心地よく思います。
ただ、そのひとたちの傍に長くは居られません。
長く居れば、そのひとにとって僕より価値のあるひとが現れるでしょう。
そしてそのときに自分の無価値を見出すでしょう。
だからその前に去ります。価値があった自分を抱えて逃げます。
そうして転々と、弱さを持つひとのなかで生きています。
僕は、弱いひとが大好きです。
いつまでも弱いひとを探して生きていくかもしれません。
結果、強くても弱くても、僕と会話してくれるひとが好きなので、
そんな感じで末永くおつきあいいただければとぞんじます。